Series / 酒の分類学 ・ vol.01
酒の分類学 第一章 ビール ― ラガーとエール、二つの酵母が分けた世界
連載「酒の分類学」について
同じ一本のビールが、酵母で見れば「エール」、原料の比率で見れば「発泡酒」、造り手の設計で見れば「IPA」と呼ばれます。酒の分類は一つではありません。何を基準に線を引くかで、まったく別の説明になります。
この連載では、ビール・日本酒・ワイン・ウイスキー・ジンを順にたどり、酵母、工程、原料、混ぜ方、香りの付け方——それぞれの観点がどこに線を引いているのかを、微生物学と酒税法・EU規則など様々な視点から読み解きます。
グラスに注いだ瞬間、片方は澄んだ黄金色で、きめ細かい泡が静かに立ち上る。もう片方はわずかに濁りを帯びて、鼻を近づけるとバナナや洋梨を思わせる香りがふわりと来る。ラガーとエール。この二つを分けているのは、産地でも麦芽でもホップでもない。どの酵母が、何度で働いたか——ほとんど、それだけである。
この章から始まる連作では、酒のラベルに書かれた分類の言葉を一つずつ分解していく。最初に取り上げるのは、世界でいちばん飲まれている醸造酒の、いちばん大きな二分法である。
「上面」「下面」は、結果であって定義ではない
エールは上面発酵、ラガーは下面発酵と説明されることが多い。発酵の終盤に酵母が液面に浮き上がるか、タンクの底に沈むか、という現象を指した呼び名である。
だがこれは酵母の性質の現れであって、本質ではない。凝集して沈むか浮くかは株ごとの性質で、例外もある。本質は、そこで働く酵母が別の種だという点にある。
エールを担うのは Saccharomyces cerevisiae。パンやワイン、日本酒でもおなじみの酵母だ。一方ラガーを担うのは Saccharomyces pastorianus(別名 S. carlsbergensis)。こちらは単独の野生種ではなく、S. cerevisiae と、もう一つの低温性の種との種間雑種である。
まず全体像を表にしておく。
| 項目 | エール | ラガー |
|---|---|---|
| 酵母 | Saccharomyces cerevisiae | Saccharomyces pastorianus(種間雑種) |
| 俗称 | 上面発酵 | 下面発酵 |
| 主発酵温度(目安) | 15〜24℃ | 8〜15℃ |
| 発酵期間の傾向 | 短い(数日) | 長い(週単位+低温熟成) |
| 香りの傾向 | エステル・フェノールが出やすく華やか | エステルが抑えられクリーン |
| 代表的なスタイル | ペールエール、IPA、ヴァイツェン、スタウト、セゾン | ピルスナー、ヘレス、ボック、シュヴァルツ |
| 成立時期 | 古代から連続 | 15世紀ごろ以降 |
以下、この表の各行がなぜそうなるのかを見ていく。
ラガー酵母は、雑種として生まれた
長らく、ラガー酵母の「もう一方の親」が誰なのか分かっていなかった。S. cerevisiae 由来ではないゲノム領域があることは分かっていたが、その持ち主にあたる野生種が世界中どこからも見つからなかったのである。
2011年、パタゴニアのナンキョクブナ(Nothofagus)林から分離された新種 Saccharomyces eubayanus のゲノムが、S. pastorianus の非 cerevisiae 部分と 99.5% 一致することが示され、この長年の謎に答えが出た[1]。同研究は、この雑種化にともなって糖代謝と亜硫酸代謝に特徴的な変化が起きており、それが醸造環境への適応(家畜化)に決定的だったことも指摘している[1]。
雑種のゲノムは、想像以上にいびつだ。カールスバーグ由来の S. carlsbergensis 株のゲノム解読では、この株が実質的に三倍体であり、一倍体分に満たない S. cerevisiae ゲノムと、二倍体分を超える S. eubayanus ゲノムを抱え、29種類・計47本の染色体(3n−1)を持つことが報告されている[2]。
きれいな半分ずつの雑種ではなく、片親のゲノムを多めに抱えた不均衡な生き物。それが世界でもっとも大量に使われている醸造微生物の正体である。
さらに157株の産業用 S. cerevisiae のゲノムと表現型を解析した研究は、現在のビール酵母がごく少数の祖先から家畜化され、ストレス耐性・糖の利用・香気生成について強い産業特異的な選択を受けてきた一方、有性生殖など野外で生きるための形質が退化していることを示している[3]。ビール酵母は、人が数百年かけて育てた微生物なのだ。
純粋培養という転回点
ラガーが「クリーンな酒」になったのは、酵母の性質だけの話ではない。単一の酵母だけで発酵させられるようになったという技術史がある。
1883年、コペンハーゲンのカールスバーグ研究所でエミール・クリスチャン・ハンセンが、麦汁を汚染していたのが細菌だけでなく野生酵母であることを突き止め、単一細胞に由来する酵母を分離・培養する方法を確立した[2]。この純粋培養株を使った大規模醸造の開始が、近代的なラガー生産の出発点になる。
いま私たちが「ピルスナーはどこで買っても同じ味がする」と感じるのは、この時点で仕込まれた再現性のおかげである。逆に言えば、それ以前のビールは——エールもラガーも——蔵ごと、樽ごとに違って当たり前のものだった。
低温で働ける、という一点
雑種であることは、そのまま低温耐性につながった。ラガーが8〜15℃程度で発酵できるのは、低温性の S. eubayanus 側の性質を受け継いでいるからだと考えられている。
ここで効いてくるのが糖の取り込みである。麦汁の主要な発酵性糖はマルトース(麦芽糖、グルコース2分子)とマルトトリオース(同3分子)だが、後者は取り込みにくく、発酵の終盤に残りやすい。残れば甘さとボディになり、食べきればドライになる。
エール酵母はマルトトリオースを Agt1 というトランスポーターで運ぶ。ラガー酵母はそれに加えて Mtt1 を持つ。両者を醸造温度域(0〜20℃)で比較した研究では、ラガー由来の Mtt1 はエール由来の Agt1 より温度依存性が小さく、10℃以下でよく働くことが示された[4]。
| Agt1(エール/ラガー双方) | Mtt1(ラガー) | |
|---|---|---|
| 運べる糖 | マルトース・マルトトリオース | マルトース・マルトトリオース |
| 低温での挙動 | 温度が下がると活性が大きく落ちる | 温度低下の影響が相対的に小さい |
| 醸造上の意味 | 高めの温度でこそ本領 | 低温でも糖を最後まで食べきれる |
低温の麦汁でも糖を残さず食べきれる——ラガー酵母が寒い環境で選ばれてきた理由が、輸送タンパク質のレベルで見えている。中世以降、アルプス以北の醸造家が冬の洞窟や氷室で仕込んだビールが安定して良くできたのは、偶然そこにこの雑種がいたからであり、その雑種が低温で糖を運べたからである。
なお「ラガー(Lager)」はドイツ語で「貯蔵」を意味する。低温で長く寝かせる工程そのものが、名前になった。
香りの差は、温度の差でもある
エールの華やかな果実香を担うのは、主にエステルである。
- 酢酸イソアミル……バナナ、洋梨様。ヴァイツェンで顕著
- 酢酸エチル……果実様。多すぎるとセメダイン様
- カプロン酸エチル……リンゴ様
エステル生成は、発酵温度が高いほど進みやすい。つまりエールの「香りの派手さ」は、酵母の資質と高めの発酵温度の合わせ技である。同じエール酵母でも、低温で回せば香りはおとなしくなる。
逆にラガーの低温発酵はエステル生成を抑え、麦芽とホップの輪郭が素直に出る「クリーン」な酒質へ向かう。ラガーがすっきりしていてエールが香るのは、性格の違いというより温度設計の違いなのである。
日本の法律は、発酵法を区別しない
ここで一つ、注意しておきたいことがある。日本の酒税法は「ビール」を、麦芽の重量が水とホップ以外の原料の総重量の50%以上であることなど、原料の構成によって定義している[5]。上面発酵か下面発酵かは、法律上の区分にはまったく関係しない。
| 分類の枠組み | 何で線を引いているか |
|---|---|
| 日本の酒税法(ビール/発泡酒 等) | 麦芽の比率、使用できる副原料の種類と量 |
| ラガー/エール | 酵母の種と発酵温度(醸造上の分類) |
| ビアスタイル(IPA、セゾン 等) | 原料・工程・酵母の設計(業界の共通語。次章) |
三つはまったく別の座標軸である。麦芽100%のIPAも、副原料入りで「発泡酒」になるIPAも、どちらも同じくエールでありうる。ラベルの「LAGER」は国が保証した等級ではなく、造り手が自分の設計を名乗っている言葉だ。
定義・特徴・味わいの早見表
最後に、本章で見てきたことを一枚にまとめておく。
| 区分 | 定義(何をもってそう呼ぶか) | 製法上の特徴 | 味わいの傾向 |
|---|---|---|---|
| エール | Saccharomyces cerevisiae による発酵。俗に「上面発酵」 | 15〜24℃の比較的高い温度で、短期間に発酵させる。熟成期間も短め | エステルや揮発性フェノールが残りやすく、バナナ・洋梨・柑橘・クローブといった香りが立つ。ボディや甘みを感じやすく、味の輪郭が厚い |
| ラガー | Saccharomyces pastorianus(S. cerevisiae × S. eubayanus の種間雑種)による発酵。俗に「下面発酵」 | 8〜15℃の低温で時間をかけて発酵させ、さらに低温で貯蔵(ラガリング)する | 低温でエステル生成が抑えられるため香りは控えめでクリーン。麦芽の甘みとホップの苦味の輪郭が素直に出て、キレのある後味になりやすい |
「味わいの傾向」はあくまで一般的な方向性である。エールでも低温で発酵させれば香りはおとなしくなるし、ラガーでも麦芽を厚くすればボディは出る。分類が決めているのは出発点の設計であって、完成品の味ではない。
もう一つ、酵母によっては4-ビニルグアイアコールなどの揮発性フェノールが出る。クローブや薬品を思わせるこの香りは、多くの醸造酵母では家畜化の過程で「欠陥臭」として選択的に外されてきたが[3]、ヴァイツェンやセゾンの酵母では意図的に残されている。この話は次章で詳しく扱う。
本章のまとめ
- エールとラガーを分けるのは酵母の種であり、「上面/下面」はその結果の呼び名にすぎない
- ラガー酵母 S. pastorianus は S. cerevisiae × S. eubayanus の種間雑種で、ゲノムは不均衡な三倍体
- 低温で糖を運べる輸送タンパク質を持つことが、低温発酵という設計を支えている
- 「クリーンか、香るか」の差の相当部分は、酵母の資質と発酵温度の合わせ技である
- 日本の法律はこの区別をしていない。ラガー/エールは醸造上の分類である
次章では、その醸造上の分類がさらに細かく枝分かれした「スタイル」——IPAやセゾンといった名前の世界を見ていく。
参考文献
本文中の番号[1]〜[5]は、以下の査読論文・公的資料に対応する。
- Libkind D, Hittinger CT, Valério E, ほか. Microbe domestication and the identification of the wild genetic stock of lager-brewing yeast. Proceedings of the National Academy of Sciences USA. 2011;108(35):14539–14544. doi:10.1073/pnas.1105430108(S. eubayanus の同定、ゲノム99.5%一致、糖・亜硫酸代謝の変化)
- Walther A, Hesselbart A, Wendland J. Genome Sequence of Saccharomyces carlsbergensis, the World’s First Pure Culture Lager Yeast. G3 (Bethesda). 2014;4(5):783–793. doi:10.1534/g3.113.010090(ハンセンによる1883年の純粋培養、三倍体構成と47本の染色体)
- Gallone B, Steensels J, Prahl T, ほか. Domestication and Divergence of Saccharomyces cerevisiae Beer Yeasts. Cell. 2016;166(6):1397–1410. doi:10.1016/j.cell.2016.02.020(ビール酵母の家畜化、香気形質への選択、野生形質の退化)
- Vidgren V, Londesborough J. Three Agt1 transporters from brewer’s yeasts exhibit different temperature dependencies for maltose transport over the range of brewery temperatures (0–20 °C). FEMS Yeast Research. 2014;14(4):601–613. https://academic.oup.com/femsyr/article/14/4/601/586660(糖トランスポーターの温度依存性)
- 国税庁(東京国税局)「ビール・発泡酒に関するもの」https://www.nta.go.jp/about/organization/tokyo/sake/abc/abc-beer.htm(酒税法上のビール・発泡酒の定義)
※注意点:本章は醸造の科学的機構を記述するものであり、飲酒を推奨するものではない。アルコールの摂取には健康上のリスクが伴い、20歳未満の飲酒は法律で禁じられている。また発酵温度域や香気成分の出方には株・レシピによる幅が大きく、本文の数値は代表的な目安である。酒税法の税率区分は改正が続いているため、最新の内容は国税庁の公表を確認されたい。
Writer
MIZ(みづ)|発酵食品ソムリエ・食エッセイスト
発酵文化推進機構「発酵の学校」第9期修了。大学では生命化学を専攻し、発酵食品の歴史や文化を「なぜおいしいのか」という科学の視点からひもときます。各地の発酵食品や珍味をめぐる旅の記録も。醸誌では、麹・味噌・醤油など身近な発酵食品の物語をお届けしています。
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