Series / 5分でひもとく、発酵のふしぎ ・ vol.02
第二章 醤油 ― 諸味に宿る発酵の遷移
連載「5分でひもとく、発酵のふしぎ」について
発酵は、ただ微生物が増えるだけの現象ではありません。
微生物が生み出す酵素、その酵素が起こす反応、そして時間の経過によって、味や香り、色や食感が少しずつ変化していきます。
この特集では、味噌や醤油、納豆など身近な発酵食品を題材に、その「おいしさ」が生まれる仕組みを科学的に読み解きます。
5分の読書から、発酵の奥深い世界へ。
炊きたてのご飯に一滴、醤油を落とす。たちのぼる湯気のなかに、香ばしさと甘い香りが同時に立ち上がる。透き通った赤橙色は、光にかざすと真紅に近い。舌にのせれば、塩味の奈落に、うま味とわずかな酸味、そしてカラメルを思わせる甘い余韻が重なる。たった一滴にこれだけの情報量が畳まれているのは、半年以上の間、諸味(もろみ)のなかで微生物の主役が静かに入れ替わり続けたからだ。その「遷移」を、分子の順番で追っていこう。
二つの原料、二つの役割 ― 大豆と小麦
醤油は、味噌と同じく大豆を主原料としながら、小麦をほぼ同量加える点で決定的に異なる。この二原料は、役割がはっきり分かれている。
蒸した大豆は、主にタンパク質の供給源。炊って砕いた小麦は、主にデンプン(糖)の供給源である。この両者を混ぜて Aspergillus oryzae(一部に A. sojae)を繁殖させ、麹をつくる。麹菌は多彩な酵素を分泌する能力を持ち[1]、小麦のデンプンにはアミラーゼを、大豆タンパク質にはプロテアーゼを向ける。
ここで醤油に特有の酵素を一つ挙げておきたい。グルタミナーゼである。タンパク質の分解で生じるグルタミンは、そのままではうま味を持たない。これをグルタミナーゼがグルタミン酸(うま味成分)へと変換する。醤油のうま味が深いのは、この酵素によるグルタミン酸の増強が一因である。
味噌と同様、麹菌自体は高塩の諸味のなかで増殖できない。しかし分泌された酵素は働き続ける。この「菌は退場し、酵素が残る」構図は、醤油でも発酵理解の土台となる。
諸味のなかの主役交代 ― 乳酸発酵からアルコール発酵へ
麹を食塩水と合わせて仕込むと、諸味(もろみ/醪)ができる。こいくち醤油では食塩濃度が17~18%前後に達する。この高塩環境で、代謝の主役が時間軸に沿って入れ替わる。
第一段階:乳酸発酵(解糖系 → 乳酸)
まず耐塩性乳酸菌 Tetragenococcus halophilus が優勢になる。麹菌が小麦デンプンから用意したグルコースを解糖系(EMP経路)で分解し、主に乳酸(と一部酢酸)を生成する。これにより諸味のpHは中性付近からおよそpH4.8~5.0へ下がる。pH低下は雑菌の抑制(保存性)と、次の酵母が働く環境づくりを同時に達成する。
第二段階:アルコール発酵(解糖系 → エタノール)
pHが下がると、耐塩性酵母 Zygosaccharomyces rouxii が優勢になり、グルコースを解糖系で分解してエタノールと香気成分を生む。発酵後期には Candida(Torulopsis) 属酵母がフェノール性の香りを加える。
興味深いのは、この二菌が単に順番に登場するだけではないことだ。T. halophilus と Z. rouxii の接種順序(同時か逐次か)が、最終的な香気プロファイルを左右することが実験的に示されている。乳酸菌を先行させてpHを下げてから酵母を働かせる逐次接種のほうが、良好な香りを与えるとされる[2]。伝統的な諸味管理が「乳酸発酵→アルコール発酵」の順を経験的に守ってきたのは、この遷移の意味を手がかりとしていたと言える。
味噌の章で見たのと同じく、乳酸菌は乳酸へ、酵母はエタノールへと、解糖系のピルビン酸から先の出口の違いとして発酵の種類を理解できる。
香りの中心にある分子 ― HEMFとメイラード反応
醤油の香りは100を超える揮発成分の総体だが、その中心に位置する分子が確定している。HEMF(4-ヒドロキシ-2(または5)-エチル-5(または2)-メチル-3(2H)-フラノン)である。醤油の揮発成分を系統的に分析した研究により、HEMFが醤油の特徴香の主体であることが同定された[3]。カラメル様の甘い香りを持ち、少量でも臭いの寄与度(臭気活性値)が非常に高い。
HEMFは、リボースなどのペントース由来の骨格に、酵母代謝由来のエチル基が組み合わさって生成する。ペントースを基盤としたメイラード反応系でも HEMF・HDMFが生成しうることが、モデル実験で確認されている[4]。つまり醤油の特徴香は、酵母の生合成と非酵素的なメイラード反応の両方から支えられている。
火入れの意味
熟成を終えた生揚げの醤油は、最後に火入れ(加熱)される。この工程には三つの意味がある。第一に残存微生物の殺菌と酵素の失活(品質の安定化)。第二に、加熱によるメイラード反応の促進で、色と香ばしさが一段と深まる。第三に、オリ(澱)などの混濁成分を凝集させて除く。生揚げのとき弱い醤油が、火入れによって香ばしい香りと澄んだ色を得るのはこのためだ。
うま味と色の分子的な正体
醤油のうま味の中心はグルタミン酸である。大豆タンパク質がプロテアーゼでペプチド・アミノ酸へ分解され、さらにグルタミナーゼによりグルタミン酸が増える。このアミノ酸系うま味に、乳酸・酢酸などの有機酸による酸味と、塩味、そして小麦由来の残糖によるうっすらな甘みが重なり、多層的な味が成る。色は、アミノ酸と還元糖から生じるメラノイジンに由来する。こいくちが濃い赤褐色を、うすくちが淡い色をとるのは、このメイラード反応の進み具合の差である。
種類と地域 ― 気候と食文化が分けた五つの醤油
醤油の起源は、味噌づくりの過程で桶の底にたまる旨い液(たまり)にさかのぼるとされる。中世、紀州湯浅(和歌山)で径山寺味噌のたまり液が醤油へ発展したという伝承が知られる。農林水産省の日本農林規格では、醤油はこいくち・うすくち・たまり・さいしこみ・しろの5種類に分類される[5]。
- こいくち(濃口):国内消費の約八割を占める標準型。大豆と小麦をほぼ等量で用い、関東(野田・銚子)で江戸期に完成した。濃い味と強い香りを持ち、濃い味付けの江戸料理と結びついた。
- うすくち(淡口):関西・龍野(兵庫)で発達した淡色の醤油。発酵・熟成をゆるやかにするため食塩をやや多く使い、メイラード反応を抑えて色を淡く保つ。出汁を活かす関西の淡い味付けを支えた。
- たまり:中部地方で造られる、大豆主体の濃色・濃厚な醤油。小麦が少なくタンパク質由来のうま味が強い。
- さいしこみ・しろ:前者は食塩水の代わりに生揚げ醤油で仕込む濃厚型、後者は小麦主体で極めて淡色に仕上げる型。
濃口が関東、淡口が関西という分布は、土地の食文化(味付けの濃淡や出汁の使い方)と、発酵を左右する気候・塩分設計が結びついた結果である。
参考文献
本文中の番号[1]〜[5]は、以下の査読論文・公的資料に対応する。DOIリンクから原典を確認できる。
- Machida M, Asai K, Sano M, ほか. Genome sequencing and analysis of Aspergillus oryzae. Nature. 2005;438(7071):1157–1161. doi:10.1038/nature04300
- Devanthi PVP, Linforth R, Onyeaka H, Gkatzionis K. Effects of co-inoculation and sequential inoculation of Tetragenococcus halophilus and Zygosaccharomyces rouxii on soy sauce fermentation. Food Chemistry. 2018;240:1–8. doi:10.1016/j.foodchem.2017.07.094
- Nunomura N, Sasaki M, Yokotsuka T. Shoyu (Soy Sauce) Flavor Components: Acidic Fractions and the Characteristic Flavor Component. Agricultural and Biological Chemistry(J-STAGE収載). 1980;44(2):339–351. doi:10.1271/bbb1961.44.339
- Blank I, Fay LB. Formation of 4-Hydroxy-2,5-dimethyl-3(2H)-furanone and 4-Hydroxy-2(or 5)-ethyl-5(or 2)-methyl-3(2H)-furanone through Maillard Reaction Based on Pentose Sugars. Journal of Agricultural and Food Chemistry. 1996;44(2):531–536. doi:10.1021/jf950439o
- 農林水産省「にっぽん伝統食図鑑:醤油、味噌、その他調味料」および「しょうゆの日本農林規格(JAS)」での分類(こいくち・うすくち・たまり・さいしこみ・しろ). maff.go.jp
※注意点:微生物名・酵素名・反応機序は上記一次情報に基づく。個別の数値(食塩濃度・pH・熟成期間など)は製法や地域により幅があるため、代表的な範囲として示している。文献4はモデル反応系の知見であり、醤油実試料(文献3)と合わせて機序理解の根拠とした。