Series / 5分でひもとく、発酵のふしぎ ・ vol.03

第三章 納豆 ― 糸を引くポリマーの化学

2026.08.30
第三章 納豆 ― 糸を引くポリマーの化学
連載「5分でひもとく、発酵のふしぎ」について

発酵は、ただ微生物が増えるだけの現象ではありません。
微生物が生み出す酵素、その酵素が起こす反応、そして時間の経過によって、味や香り、色や食感が少しずつ変化していきます。

この特集では、味噌や醤油、納豆など身近な発酵食品を題材に、その「おいしさ」が生まれる仕組みを科学的に読み解きます。

5分の読書から、発酵の奥深い世界へ。

蓋を開けると、まず鼻に来るのは、あの独特の匂いだ。香ばしさの奥に、つんとアンモニアを思わせる刺激が混じる。箸で持ち上げれば、粒はすぐに白い糸を引き、かきまぜるほどにその糸は白く濁り、強さを増していく。このネバネバは一体何なのか。なぜ大豆がここまで変わるのか。一粒の大豆の上で、一種類の細菌がこなす分子の仕事を、順にほどいていこう。

選ばれた枯草菌 ― Bacillus subtilis (natto)

納豆をつくるのは、カビでも酵母でもなく、細菌である。土壌や枯れ草にありふれた枯草菌の一系統、納豆菌(Bacillus subtilis var. natto)だ。味噌や醤油が多菌のリレーであるのに対し、納豆は原則としてこの一菌が主役を独占する。

納豆菌には二つの決定的な性質がある。一つは好気性であること。酸素を必要とするため、納豆は密閉発酵ではなく、大豆の表面で発酵が進む。もう一つは芽胞(がほう)を形成すること。芽胞は高温に強く、蒸したての大豆(雑菌が死滅した状態)に接種しても生き残る。かつて蒸し大豆を稲藁に包んで保温すれば納豆になったのは、藁に付着した納豆菌の芽胞が蒸煙の熱を生き抜け、やがて大豆上で発芽・増殖したからだ。この経験知は、後に菌学的に裏づけられた(沢村真による納豆菌の分離・1905年)[4]。

納豆菌はゲノム・酵素学的によく調べられた枯草菌の一型であり、タンパク質分解酵素や多糖・ポリマー合成酵素を高い能力で分泌する(B. subtilis ゲノムに基づく遺伝学的知見)[1]。

タンパク質分解とうま味の生成

納豆菌の中心的な酵素は、サブチリシン型のアルカリ性セリンプロテアーゼである。大豆のタンパク質(グリシニン等)をペプチドへ、さらにアミノ酸へと分解する。この過程でグルタミン酸をはじめとする遊離アミノ酸が蓄積し、うま味とコクが生まれる。同時に、アミノ酸の脱アミノ化によりアンモニアも生じる。古い納豆や過発酵の納豆がツンと強く臭うのは、このアンモニアが増えるためだ。うま味と匂いは、同じタンパク質分解の表と裏である。

ネバネバの正体 ― γ-ポリグルタミン酸

納豆の糸を引く粘質の主成分は、γ-ポリグルタミン酸(γ-PGA)と呼ばれる高分子だ。グルタミン酸が多数連なったポリマーであるが、ここに重要な仕掛けがある。

通常のタンパク質は、アミノ酸同士がα-カルボキシル基でつながる(α-ペプチド結合)。ところがγ-PGAでは、グルタミン酸の側鎖にあるγ-カルボキシル基を介して連結される。このγ結合は、一般的なタンパク質分解酵素(プロテアーゼ)では切れにくい。だから納豆菌は、自分が分泌する強力なプロテアーゼに分解されることなく、γ-PGAを菌体の外側に蓄えられる。

γ-PGAは、菌の細胞膜にあるPgsBCAと呼ばれる酵素複合体によって合成される。この複合体がγ-PGA合成の唯一の装置であることは、遺伝子破壊実験を含む生化学的解析で示されている[2]。γ-PGAは強い保水性と粘度を持ち、あの糸引きを生む。糸にはさらに、レバン(フルクトースからなる果糖多糖)が絡み、粘りを支える。ネバネバは味ではなく、アミノ酸ポリマーと多糖の物理的な絡み合いである。

ナットウキナーゼというタンパク質

納豆が科学的に注目された契機の一つが、ナットウキナーゼ(サブチリシン NAT)の発見だ。サブチリシン型のセリンプロテアーゼであり、フィブリン(血栓の主成分)を直接分解する線溶活性が試験管内で確認されている。この酵素は1987年に納豆から見いだされた[3]。

ここで記述の節度が必要になる。ナットウキナーゼの線溶活性は、試験管内(in vitro)および動物実験で確認された事実である。一方で、この酵素を納豆として経口摂取したとき、タンパク質であるナットウキナーゼがどの程度消化を免れて体内で働くかは、別に検討されるべき問いである。本章では、「納豆に線溶活性を持つ酵素が含まれる」という化学的事実に記述を留め、食べれば血栓が防げるといった断定は行わない。

香りの分子 ― ピラジンと分岐鎖脂肪酸

納豆の特徴臭は、複数の揮発成分の合成である。香ばしさに寄与するのはピラジン類(テトラメチルピラジンなど)で、ナッツ様・ロースト様の香りを与える。一方、納豆らしさの中心にあるややクセのある匂いは、分岐鎖短鎖脂肪酸(イソ吉草酸・イソ酪酸など)に由来する。これらは、ロイシンやバリンといった分岐鎖アミノ酸の代謝から生じる。さらにアンモニアが全体の刺激臭を強める。納豆の匂いは、単一の成分ではなく、ピラジン・分岐鎖脂肪酸・アンモニアの配合として立ち上がる。

なお、納豆菌はビタミンK2(メナキノン-7、MK-7)を生成することが知られる。これは発酵の過程で生成する化合物としての事実であり、本章ではその生成の指摘に留める。

歴史と地域 ― 東日本の食卓と稲藁

糸引き納豆の起源には諸説があり、蒸し大豆を稲藁に包んで保温する製法が各地で自発的に生まれたとされる。稲作と大豆、そして藁に宿す納豆菌という三要素が揃う土地で、納豆は食文化として定着した。歴史的には水戸(茨城)や秋田をはじめとする東日本を中心に広がった。近代に入り、藁の雑菌を避けるために純粋培養した納豆菌(スターター)を接種する方式が確立し、品質の安定した現在の納豆へとつながった[4]。

参考文献

本文中の番号[1]〜[4]は、以下の査読論文・公的資料に対応する。DOIリンクから原典を確認できる。

  1. Kunst F, Ogasawara N, Moszer I, ほか. The complete genome sequence of the Gram-positive bacterium Bacillus subtilis. Nature. 1997;390(6657):249–256. doi:10.1038/36786
  2. Ashiuchi M, Nawa C, Kamei T, ほか. Physiological and biochemical characteristics of poly γ-glutamate synthetase complex of Bacillus subtilis. European Journal of Biochemistry. 2001;268(20):5321–5328. doi:10.1046/j.0014-2956.2001.02475.x
  3. Sumi H, Hamada H, Tsushima H, Mihara H, Muraki H. A novel fibrinolytic enzyme (nattokinase) in the vegetable cheese Natto; a typical and popular soybean food in the Japanese diet. Experientia. 1987;43(10):1110–1111. doi:10.1007/BF01956052
  4. 農林水産省「にっぽん伝統食図鑑(納豆)」等の公的解説(納豆菌の分類・製法・歴史)。なお納豆菌の分離(1905年、沢村真)は菌学史上の事実として広く記録されている。

※注意点:微生物名・酵素名・反応機序は上記一次情報に基づく。ナットウキナーゼの線溶活性(文献3)は体外・動物実験での知見であり、ヒトの経口摂取における効果を主張するものではない。個別の数値(発酵温度・時間など)は製法により幅があるため、代表的な範囲として示している。

#5分でひもとく、発酵のふしぎ #納豆
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